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サードプレイスとは [楽しみ(雑感)・執筆・連絡]

ここ数年、コロナ禍というだけでなく、めっきり世の中へと出ることをしていなかった、ソーシャルワーカーと名乗るのも恥ずかしくなるもののつぶやき。


最近、不思議と、そういう場に参加することがまた増えてきた。本来は、嫌であるわけでもないのだが、まったくもって自信喪失してのそれというか・・・。


これまでというと、「ひげ先生」という師匠について回っての参加、そしてそんな姿を見られていたこともあり、お声がけを頂くこともあったのだろう。


また地域包括支援センターというところに配属され、地域コーディネーターなる職名を拝命していたことで、そのような機会があったのだろうとも思っている。


現在施設の支援相談員という立場にて「隠れて生きている」。


しかし、性分というものもあるようで、むずむずしてくるのかもしれない。プライベートでの心配も少しずつではあるが、やわらぎ、職場でも少し自由に動けるということもあって、これまで温めていたことを披露し、実現に向けて動くことができているということなのかもしれなし。


まぁ親父も逝って、そろそろ知命となる、わけで、なんかリスタートってことなのかもしれない。


その温めてきたものに、茨城の常陸大宮市にある医療法人博仁会 (hakujinkai.com)でご活躍の西村さんをお招きしての講演会というのがあった。


こちらの方はわが町ご出身で、そんなことで職員にも同級生がおり、また、私の卒業した高校のご卒業ということでもあった。


出会いは当時、酒田飽海住宅改修研究グループという勉強会の事務局をしており、その時福祉住環境コーディネーター協会からの委託を受けて、こちらの資格取得等のご支援をしていくという講座を開催していたときに、ふるさと「酒田」を見つけ、遠く茨城から講座に参加してくれたというものであった。その後はフェイスブックで活動をフォローしながら、いつか、いつかお呼びし、お話をお聞きしたいと思っていた。


そんな中、職責者を対象に研修会を企画する役を頂き、満を持して、推薦し、念願の研修会を開催することができた。

中間管理職研修_-900x504.jpg


お題は「医療法人が行うまちづくり」ということであった。


多岐にわたり、ご自身の活動をもとにお話しいただき、私たちを勇気づけてもらいながらという、非常に有意義な時間を過ごすことができた。


聞けば、仕事として、つまり業務命令でのスタートではなく、法人内の有志を募り、その活動を法人が認めていくという面白い発生経過であった。


そういう中ででてきた言葉が「サードプレイス」。


さて本題。備忘録的にまとめていく。




サードプレイスとは、

家庭や職場などとは違う、居心地がよくリラックスできる場所で義務や必要性に関わらず、自ら進んで行く場所。例としては、同じ趣味の仲間と交流できるサークル、気の置けないメンバーで身体を動かせるスポーツクラブ、ひとりの時間をのんびり過ごせるカフェやバーなどがあるといわれている。企業においても、サードプレイスの意味をよく理解し、従業員へサードプレイスを持つ働きかけをすることで、業務効率化やストレス軽減などのメリットが期待できるのだそうだ。

ファーストプレイスとは、第1の居場所である家庭のことを指します。帰宅してリラックスできるという人も多くいるから、サードプレイスとどう違うのか?と思うところもあるけど、説明を見ると家族に対する義務や責任も存在しますから、安らぎが少ないというのも納得。じゃぁセカンドプレイスとは、自宅以外に長い時間を過ごす場所のことで、職場などが当てはまるんだろう。多くの人が与えられた業務や収益のために行動する場所なため、本来の自分を表現できないことも多いでしょうとのこと。

ひとは、それぞれの場において、いろいろな役割を担い、演じ、日々格闘しているのだろう・・・。私自身もきっとそうなんであろうけど、日本人的と言うか、いまだサードプレイスなるものがすっと入ってこない。

ただ最近、一人遊びを練習し始めようと思っていることについても、たぶんそういうことを無意識に考え始めたのだろうかなぁとも思っている・・・。

ところで、今一度、この考えが出てきたあたりにさかのぼり、どういうものかを理解していきたい。

発案者であるアメリカの社会学者レイ・オルデンバーグは、自動車依存型社会であるアメリカでは、多くの人が家庭と職場の往復する生活になっていることに気づいたのだそうだ。これはわかる。そう考えると、車の中というのも、そういう「プレイス」なんではないかと。音楽であっても車で聴くことが主だなぁ、私。

と、知らず知らず、職場と家の往復で、解消されることのないストレスをもち、そんな社会を生き抜くために必要なのは、潤滑油であり、そのもととなるサードプレイスであると考えらしい。

なおサードプレイスの定義によれば、サードプレイスには、以下のような要素が求められるとのこと。

  • 中立性
  • 社会的平等性の担保
  • 会話が存在する
  • 利便性が高い
  • 常連になれる
  • 目立たない
  • 遊び心がある
  • 感情を共有できる
まぁ、私の場合、自転車の仲間かなぁ・・・。いやぁもっとあるかぁ、たぶんブログの記事カテゴリーくらいあるんだろうか・・・。
仕事柄、相談を承ることなわけで、常日頃、仕事用の「第三の自分」で、専門職として、またそういうことで自分へのダメージ軽減を図りながらというスタンスでいる。それでもマイナスな感情を常日頃うける感情労働であるためそのケアは大切である。
自分へのご褒美は増え、また甘いものや、お酒など増えに増えて現在であるが、その中のお酒がなくなったというのは振り返ればよかったのかもしれない。
まぁ趣味的なものが大半なのであるが、なんだかしっくりこない「サードプレイス」。
なんか趣味と同じくらい充実感があったらなぁ、趣味活動でも味わえない、満たされていないそれって???。
そんなことが見えてくると、自分にとってのサードプレイスが確定するんじゃないかと考える。
うーむ。
存在の肯定なんだろうか・・・・。
うちは共稼ぎで、親戚や近所の方の応援を多く頂いたと思っている。たぶん私のパーソナリティもそういう環境に起因しているに違いない。
感謝するとともに、そういった皆さんとの関係から、自分という輪郭が出来上がっているのではないかと。
そんなこともあるの、一人、趣味に没頭しても、イマイチ楽しめないのはそういうことなのかもしれない・・・。
めどくせーなー、自分で楽しんでくれよ!言われるかもしれないし、なんだか最近自覚もあるので、話はもどるが「ひとり遊び」の研究になるのだろうが。
いまだ答えは見えないのだが、なんか社会にでながら、少し考えてみようと思う今日この頃である。
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